2009年11月14日土曜日

業界研究会@教育大に行ってきた.

あいにくの雨.風も強く,傘を差していても雨が体に突き刺さるのがわかる.

久しぶりにスーツを着てバスで教育大学に向かった.バスの社内はおそらく同じ目的で教育大学に行くのであろうスーツの学生がたくさんいた.

大学に入って大学名と名前を記入する簡単な受付を済ませて中に入っていくと,大きな講義室ですでに講演のようなものが始まっていた.ふと携帯電話を取り出して,時間を確認すると,まだ予定の時間よりも5分早い.部屋の前においてある長机には,入り口で書いたものと同様のフォーマットのA4用紙が置いてあったのでそれを良く見てみると,大学名を記入する欄が無く,学籍番号,氏名を記入するものらしかった.どうやら教育大の学生は,今日の業界研究会の説明を受けてから参加するようだった.

ほどなく,イベントはスタートした.体育館内にブースが30ほど用意されていたが,これといってどの企業を見たい.というアテもなかったので,入り口から最も近かった,某保険会社のブースのパイプイスに腰掛けた.ブースの前はパイプイスが6脚入ればやっとのこぢんまりとしたものだった.

説明が単調で,退屈だった.自分の会社のことを知ってほしいという気持ちがまったく見られなかった.おのずとこちらも気が抜ける.左隣に座っていた教育大の女の子は,熱心に聞き,うなずきながらメモを取っていた.感心する.これくらいの熱意が無ければいけないのだろう,本当は.ただ,この程度の説明なら業界に関する書籍を1冊読めば良さそうなものだと思いながら聞いていた.

「何か質問があれば受け付けますけれど」

「はい」

「どうぞ」

「私は保険を利用する立場でしか保険についての見識がありませんが,保険の商品はどの会社を比べても,どれも似たり寄ったりでどれも同じように見えます.御社が他社との差別化を図っている保険商品はありますか.また,保険業界が3メガ体制に経営統合されたあとの御社の今後のビジョンについてお聞かせください.」

質問に対する答えは,色々とごまかしごまかしではあったが,要するに「商品での差は無い」という結論だった.どこで差別化を図るかについては,「代理店の扱い方だ」という結論だった.保険のほとんどは代理店が契約をとっているので,プロの代理店を仕立て上げるのに力を注いでいるらしい.しかも,保険屋でありながら,保険で飯は食えず,資産運用でもっているとのこと.保険業界はどこもそうらしい.このあたりの教養は自分にはまったく無かったので,ためになったかも知れない.

「他に質問は」

「はい」

教育大生と思しき学生が手を上げた.

「あのー,パソコンを使って商品を説明するといったお話がありましたが,パソコンが使えないとだめなのでしょうか・・・」

席を立った.つまらなすぎる.

なんだかのっけから力が抜けてしまい,開始30分で意気消沈.せっかくだからと,学部時代に4年ほどやっていたアルバイト先の学習塾が,いまどんなことになっているのかというのが気になったので説明を受けて帰った.

なんちゃらEXPOとかもこういう感じなのかなぁ.

2009年11月13日金曜日

新日鐵室蘭製鉄所の見学にいってきたよ.

大学院の全体メールで,半月くらい前に新日鐵室蘭製鉄所の工場見学会の案内が流れてきた.「工場見学」という響きだけでもうわくわくして即,参加のメールを出した.

小学生時分,自動車のエンジンを作っている工場の見学に苫小牧に行ったのを覚えている.当時は,小学校のカリキュラムに組み込まれているからというだけの理由で見学しているので,特に興味もわかなかった.いや,小学生などという立場では,工場というものの価値について知りえないので,そのおもしろさを語るレベルにも満たないといっても良い.棒を振り回していればそれで楽しい.明日もこの棒を振りたいからあそこに隠しておこうぜ.こっちのつららの方が美味いぜ.小学生とはそういうものだ.その頃の見学といえば,引率の先生に言われるがままに,工場の従業員に対して,「こうじょうで はたらいていて たいへんなことは なんですか」と定型文を述べさせられるのもお決まりのコースの一つだ.

今回の見学では,製銑(鉄鉱石から鉄を取り出すこと)の工程と,棒鋼と呼ばれる鉄を棒状にしたものを作る工程を見た.単純に,真っ赤な銑鉄が流れ出る様子もさることながら,銑鉄が成形されて棒状になって出てくるところもまた迫力があった.工場内は人が少なく,ほとんどが自動化されていた.すべて管制室でコントロールしているのだとか.自動化の精度たるや,棒鋼にいたってはその径が±0.1%だというから驚く.管制室は,20台近くのモニタがあり,それぞれの工程をカメラで監視しているほか,高炉をモデル化した線画でリアルタイムに情報が表示されているようだった.高炉は止めると再起動に時間とコストがかかるという性質上,24時間稼動することを必要とするため,常時3人が監視しているという.管制室はエヴァのアレを想像するとちょうどよい.

「こうじょうで はたらいていて たいへんなことは なんですか」と聞くまでもなく,不況の煽りを受けていることを伝えられた.たしかに,100の棒鋼が一度作れそうなラインは,20程度しか稼動していないようにも見て取れる.ただ,この工場で出す製品の質の高さから輸送費が高くつくことがわかっていても,発注があるのだそうだ.

どんな鉄製品もこの過程を経てエンドユーザの手元に渡ることを考えると,感慨深いものがある.

2009年11月7日土曜日

ねじまき鳥クロニクルを読み終えた.


第2部の「10.人間の死と進化についての笠原メイの考察,よそで作られたもの」での笠原メイの言葉,

「つまり―私は思うんだけれど,自分がいつかは死んでしまうんだとわかっているからこそ,人は自分がここにこうして生きていることの意味について真剣に考えないわけにはいかないんじゃないのかな.だってそうじゃない.いつまでもいつまでも同じようにずるずると生きていけるのなら,誰が生きることについて真剣に考えたりするかしら.そんな必要がどこにあるかしら.もしたとえ仮に真剣に考える必要がそこにあったとしてもよ,『時間はまだたっぷりあるんだ.またいつかそのうちに考えればいいや』ってことになるんじゃないかな.でも実際にはそうじゃない.私たちは今,ここでこの瞬間に考えなくちゃいけないのよ.(中略),だから私たちが進化するためには,死というものがどうしても必要なのよ.私はそう思うな.死というものの存在が鮮やかで巨大であればあるほど,私たちは死にもの狂いでものを考えるわけ.」(村上春樹,ねじまき鳥クロニクル第2部予言する鳥編,新潮文庫,Pp162-163より引用)

が一番印象に残った.世界が止まってしまわないように巻くねじまき鳥の声は,生死にからむ場面で聞こえてくる傾向があるように思う.ねじまき鳥の声が聞こえてくる度に,自分自身は生きることや死ぬことに対してどのように価値を置いているのかを考えさせられた.いつもは読み終えた本をもう一度読むことなどないけれど,もう一度読んでみようかな.と思える作品だった.


白い月とカラス

ふと大学の外に出て,見上げると青い空にぽっかり浮かぶ小さな白い月をじっと見つめるカラス.対照的な色の2つが何か語り合っているかのように見えた.もしそうだとしたら,月はカラスに,カラスは月に何をたずねるんだろう.そんな意味の良くわからないことを考えた朝だった.

さて,昨日は寄付企業のみなさまへ現在のプロジェクトの進捗報告をした.前期の成果発表が8月の終わりだったから,2ヶ月ほど経過したことになるけれど,うち1ヶ月は学会発表やらインターンシップやらでみんなで払っていたので活動できたのは正味1ヶ月といったところ.アウトプットは少なかったが,現場の話をたくさん伺うことができてよかった.

今週はこの日の発表ための資料作りに追われていて,今週はこれ以外に何も手をつけられなかったな.

2009年11月4日水曜日

ちゃんちゃん焼きにお呼ばれ.


午前中はのんびり家で過ごしてから大学へ.大学に着いてからコーヒーを入れてまったりしていると,院生室にA部くんがやってきた.「わたさん,鮭とれたよー」という報告.どうやら,この日は北斗市茂辺地でさけまつりなるイベントがあったらしく,その中の一イベントのさけつかみどりで2匹も鮭をゲットしてきたらしい. これはちゃんちゃん焼きをやるしかないと,早速帰る.俺は学校にコーヒーを飲みにきたのか.

鮭をさばいて,適当な野菜をぶっこんで味噌で味付け.味付けはよくわからないからと携帯でググって調べて白味噌,酒,みりんを合わせたけどなかなかこれが美味い.ところで,ちゃんちゃん焼きってこんな汁っぽいかんじだっけ.まぁ,べつに美味しかったから良いけど.

2009年11月1日日曜日

資料の直しで一日が終わった.

いつものようにバスで大学へ.まだ雪が降っているわけではないので,自転車に乗れないこともないけれど,流石にこう寒くては便利な自転車に乗るのさえ億劫だ.

赤川線を上っていくこのバスの道のりで右側に見える紅葉がとても綺麗.へたに大沼まで紅葉を見に行かなくたって風の冷たさと目に入る赤や黄色に秋は十分に感じられる.

今日は大学でAO入試があったようで,玄関先で制服姿の高校生とすれ違った.試験はまだ続いているようすだったので,すれ違った彼らはもうすでに試験が終わった後だったのだろう.キャンパスライフに期待と夢をたくさんもっているんだろうな.どこかで腐ってしまわないようにがんばって.と心の中でつぶやくと同時に,自分自身にも言い聞かせた.